2013年12月14日土曜日

HATE

人が人らしく生きる。怒り、悲しみ、笑う。どの感情も人間として認められたもの。人と人が激しく憎み合い争うことも人として当然であり、僕は好き好んで争いに参加こそしたくはないしそれを面倒に感じつつも、それを否定はしない。勿論、愛する人たちを傷つけられるなど自分の身に火の粉が降りかかれば当然、怒りに駆られ、他人を憎み争うことも辞さないだろう。

差別や原発や戦争は人が生きることを根本から否定しているとしか思えないから怖いし憎い。本当にそれだけのこと。

自分は聖人君子でも人格者でも無い。他人に対する憎悪や怒りを認めるからこそ、あらゆる差別や人の生を脅かす政策にはNOを言い続けたい。怒りや憎悪を表明するために明確な意志を持ち続けたいと思う。

2013年12月8日日曜日

近況①

・特定秘密保護法案採決FUCK.自分だけの力では叶わないけど、安部ファッショ政権打倒を胸に誓う。絶対に諦めません。

・秘密保護法で世の中が揺れ動いている間、DISCHARGEとかLIP CREAMとかNIGHTMAREなんかを聴いていた。特にLIP CREAMのラストアルバムの世界が近づいている気がしてぞっとしたと同時に、闘争本能に火がついた。

・ワンマン主義が嫌い。

・上位機種の掃除機を買って変にアガる。

・自分の中の“PUNK観”再考。改めて拘っていくつもり。

・アンチで観たPOIKKEUS、衝撃的で最高だった。昔から憧れる「大阪のハードコアパンク」が醸し出すアノ感じ、完全にどうかしていた。

・LFY/VÅR/Pharmakon、来年2/8に来日決定した、死ねる。

最近はそんな感じでした。

2013年11月21日木曜日

SEE U LATER

連れの実家の犬が亡くなってしまった。とても寂しい。9月に帰省した時には弱々しい身体で散歩を喜んで、でもリードを伝わる力は弱々しく切なかった。

歳を増すごとに別れは増える。

ふと、もう逢えない人たち(人に限らず)の顔を沢山想い出して、逢いたくなったり。

皆に告ぐ、俺より先に消えてくれるな。

2013年11月18日月曜日

回帰

さて、ぼちぼち迷ブログ復活しましょう。

そう、ツイッターに妙なプレッシャーを感じる時期に入っています。自分の思わせぶりなツイートが他人のTLに(それもどう考えても求められてないのに)突発的に表れることを意識し始めると、もう駄目ですね。読み流されたくもないし、深読みされたくもないしで、自意識高めなわがままちゃん。

以前と比べたらツイッターとの付き合い方にも慣れたし、辞めこそしないつもりですが。だからあれはあれで本当に取るに足らないアホなこと言っとけば良いかな自分は。

棲み分けなんて自己満なのかもしれないけれど、どんな小さな一言でも再びブログというフィールドで伸び伸びやりたくなってしまった。何てったって独壇場ですからね。ブログで書いたことなら、読み流されても深読みされても何か許せる。自分の納得いく文字数で書けるし、簡単に風化しないし、読んで欲しい人にも読んで貰えるだろうし。

という感じで、「またか」と愛想を尽かされる気がしますが、もういい加減開き直って、ずっとこういう葛藤を繰り返そうと思います。

そもそもが、少し疲れているのかもしれない。

いやいや、まだまだ色んなものに感動や興奮や刺激を受ける余裕もあるので平気すね。

これとかもう。


2013年3月29日金曜日

限界は其処

新しい暮らしにもあっという間に馴染み、遂に来る四月からの社会復帰が目前に迫った。

労働における価値観も人それぞれだとは思いますが、所詮人ひとりが出来ることなんて限られているのでは。それぞれが自分に出来ることを眈々とこなし、それを日々積み重ねていくだけでは駄目なのだろうか。勿論、不得意な場面も無慈悲に回ってくるのが仕事。そこで他人に目を向けられない(それを打破できる協力者が手を差し伸べたり、皆で解決する協調性のない)様な組織に身を置いているのなら、一層辞めた方が無難。その方が恐らく貴方も組織もお互い円滑になる。「辞める」という意思表示も一つのカウンターだし、誰しもが安心して身を置くのに相応しい場所は必ず何処かにあると思う(僕は「場所」には刑務所も各施設も病院も地獄も含めたいけど)。

仕事の愚痴やら何やら鬼の様にツイートなどネットにぶちまける人も目につく。気持ちは痛いほど分かるけど見ていて辛くなる。その人がそれを吐き出すことで気持ちの整理がつくのであれば、それを止めてくれとまでは思わない。でも正直、知ったことではない。いっそ仕事の愚痴であれば「(上司、客など)◯◯くたばれ」くらいなこと書かれた方が見ていて爽快だし、僕はそれを笑いたいし、僕自身がそうする日も今後あるかもしれない。それは昨今の人種差別デモにおける「◯◯人を殺せ」の様な陰湿な差別表現とは訳が違う。「憎み方」さえ謝らなければヘイトは健全な感情だと僕は思います。万人に伝わらなくても、怒りの音楽も、怒りの意思表示も表現としてあって良い筈だから。往々にして仕事の愚痴をネットに綴る人は、所謂善い人が多そうなので心配になる。でもそんな人たちはその分、表現でヤバい才能持ってたりするのだけど。

自分の中で人間が嫌い、怖いという想いも未だに根底に何となくある。自分が嫌われたく無いが故の立ち振る舞いもするし、変な嘘や誤魔化しも全く無いとは言い切れない。でもそんな自分がどう転んだのか対人援助の場に立つらしい。それはきっと、対象との関わりを軸にして、やたら小難しい「人間」というものをもっと知りたいのだと思う。そこに、自分自身が生きたり、表現していく為のヒントもある気がしてならない。

限界は何処だ、なんて僕には言えないのです。其処彼処に転がる限界を認めてこそ、僕は生きていけるのだろう。

2013年3月4日月曜日

あらたなくらし

無事に引っ越しました。やれやれと、疲れ果てましたがどうにか普通の生活が出来る程度には落ち着いて来たので久々に書きます。

2/16のライブの感想なんかも書きかけてたのだけど、それはまた後に記すとして。



大好きな猫と暮らすというのは大好きなだけになかなか踏ん切りがつかないもので、少しでも猫と近づける環境に越してきた。

ちょっと近所に散歩して見つけた猫の隣に座ろうものなら膝に乗っかって来やがりました。幸せすぎる。。僕らの求めていた暮らしはこれでした。

ただそこで衣食住を満たす、という暮らしにはもう限界が来ていたので、今まで以上に街という空間に付加価値を求めてしまう。これまでずっと何の特色も無い(ただそこに家が立ち並び、道があり、車が走り、所々に店がある様な)環境でばかり過ごして来てしまった。目を凝らせば気付くものもあったのかもしれないけれど、あまりにも人や物が淡々としており、その空気に様々な気力や興味を削がれてしまった。あそこに居ては腐る一方だった。

今回移り住んだ街は分かりやすく門前町なので、利便性だけでなく、それなりの情緒と趣があるので早速その空気自体を楽しんでいます。



気づけば三月。

色々と滞らせてしまっているものもあるので、新たな暮らしのなかで徐々に再開していきます!



2013年2月14日木曜日

2013年2月13日水曜日

ほどほどにね。

うおー馬場くん(COSMIC NEUROSE/SCREWITHIN)もブログに件の反韓デモについて書いてたのね!実に慎重に検証していて、気付かされることも多いと思う。是非、読んでみてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/babattiee/archive/2013/02/11

この記事に限らず彼のブログは必読です!読めばモテる!



現在あまり活発に外出できない事情なので、どうしても考える時間に満ち溢れている。考え過ぎもそれはあまり健康的とはいえないね。毎日、軽く散歩でもして猫写真とかUPしていこうかしらー。でも寒いのは嫌。そう、冬のせいもあるのかもしれない。

だから僕はネットで猫と出会うのだ。

ほんとにもう、、ぐうかわ。

2013年2月12日火曜日

HATE THiNK HATE

前回の記事、UPしてからというもの思うことがありまくりで。それだけ僕には新大久保のデモというのは凄くショッキングなもので、「差別」ということに関してずっと考えるというスパイラルにハマってしまった。

僕は正直、思考停止の上に他者を傷つけることに特化してしまった様な人々はもう既に「手遅れ」な存在で、檻なんかより病棟に送り込む方が適切なんじゃないかと思っていた。そのほとんどがヒキコモリのアニオタの様なパブリックイメージも当然持っていて。しかし、全てを一括りにしてそれに当てはめてしまうことは、それも自らの思考停止だよなと、少し反省しています。

「嫌う」ことは人としてごく当たり前の感情。無理にその感情を押し殺してしまう人も居るけれど。ただ誰しもが自らのそれらの感情と、もう少し向き合う必要がある。「何気なく“嫌い”」ということが、実は刷り込みである可能性だってある訳で。それを、知らず知らずの内に他者とまた何気なく共有しているかもしれないし、本当はおかしいと気付いている様な人もそれを外に言い出せぬまま、差別することを享受しているかもしれない。

この点を改めて考察した上で、僕は「差別」をもう一度はっきり否定したい。

個人的な「嫌い」には何も文句なんて無い。ただそれを自己都合のもとに解釈して根拠の無いデマに他人を押し込めたり、またその負の感情を誰かと共有してまで無抵抗な人々を罵るのは異常だ。



ネットなんかでは話の通じない馬鹿とのトラブルが面倒なので自重していますが、僕自身は悪口大好きなんですよねこれが。ヘイトだけに。受け手としても、毒気の無いものには一切の魅力を感じないですし。

だからヘイトのHATEは別に誰にも強要しませんし、むしろヘイトがHATEする奴らはある意味自分にとってスパンコールの様なものなのです。

なので「何となく」でHATE振りまいて悪態ついてる様な屑は笑えないので黙れ、消えろ、と言っておきます。



久々に黒いトコ出しちゃった★

2013年2月10日日曜日

病める人々


極端な話をしてしまえば、常軌を逸した放射能忌避も、在特も、極左も、体罰肯定派も、この目にはすっかり同じものに見えてくる今日この頃。

彼らは大義名分として「日本」「子ども」「自由」などを護るための行動=表現を実践している様だ。でも本当に守りたいのはきっと「自分」。何か行動している実感で「自分」が救われたいが為に、それらをダシにしている様にしか思えない。

僕でさえ救われたい。だから言葉を綴ったり、運がよければ音を鳴らすこともある。僕はあまり会話が得意ではないので、余計にそれらによって救われる。彼らにとってのデマや暴力が果たして僕のそれと違うのかと言ったら、きっと同じ。ただ、一つ違うと言えば、僕は「自分の為」にしか表現や行動をしていないと言える。仮想敵も「自分」。くすぶってる自分をぶっ殺したいだけ。

とは言っても、自分を強く持つって、言うほど簡単ではないね(僕も結構、人に依存したりするので、内心冷や冷やしてますよ。いつか誰か離れていくんじゃないかって)。

最早カルト化した集団には然るべき「救いの手」が必要だ。それはもう、セラピーであって、説教して変われるレベルの人はそう居ないだろう。きっと僕の手には負えない。



ただ現実問題として、カルトに支配された人々のデマや暴力によって実害が生じることが多々ある。

そういう観点からすると、例えば先の新大久保の反韓流デモに対する「レイシストしばき隊」の様なアクションも止むを得ないと感じた。

正直、初めはそのネーミングに耳を疑ったが、その大きな意図は、レイシスト連中と同じ土俵で相撲する様な無意味なアクションではなく、機能しない警察警備へのカウンターとの事で腑に落ちた。そして第一回のそれが無事に役目を果たしたとのこと。

自由に甘んじて何でも許される訳じゃないととっとと学んで、一人でもネトウヨみたいな連中が自らの恥に気付くことを願う。領土だ何だ言ってないで、もっと自分の人生を生きて下され。



自己保身が為に人に吠えて傷つけるなんてみっともないし、それじゃ一生モテないしいつまでも変われないよって、何か有名な萌えキャラにでも言って欲しいもんだな。

2013年2月8日金曜日

PIRATES MiX

HARDCORE PUNKのLIVE音源って熱量が伝わりにくいものばかりだと思う。これは一つの作品として完成していて凄い。MC5『KICK OUT THE JAMS』ばりの熱量。

聖地VORTEXでのLIVEというところもポイント高し!(超行ってみたい)

http://soundcloud.com/deathro-keno/cosmic-neursoe-tour-the/s-Agvfw

DL期間3.11までだそうです。

2013年2月6日水曜日

近頃の夜は

僕、完全に夜型でして。でも何か近頃は、起きていれば起きているほど気が滅入ってくるので、早寝の習慣をつけたいな。冬のせいもあるのかもしれないけれど。

しかも、また少々の長い休みに入ってしまった訳だ。春からの社会復帰が無事に出来るといいけど。



ところが、この2月をもって今の住処を離れることにしたので、そうぐだぐだもしてられないぞと。でも引っ越す先は近所の予定です。

僕は産まれて30年間ずっと千葉から離れたことは無いのですが、ずっと東京に憧れていたい気もするので、現時点ではこの先も千葉を出ることは無いと思います。余程のやんごとない事情がない限りは。



我等がJUSTICE、誕生日おめでとうございます。31歳、ボイパ解禁?

2013年2月2日土曜日

センチメント

約二年間、僕は日々ある所に通ってきて。紆余曲折を経て「最後の手段」的に選んだ道だったのだけど、これまた紆余曲折を経て、今思うと掛け替えのない二年間だったと思う(日々の学びは発見と退屈の繰り返しでそれに対しては特筆すべきこともない)。

二年前の僕は、無闇に人と溶け合うことにまるっきり自信を無くしていた。いや今でもそれは大して変わらないけれど、震災を経て何かが吹っ切れたのは確かだった。色々と難しく考え過ぎて、卑屈に捻くれまくっていた自分があれを機に急激に馬鹿らしくなったというか。すかしてる場合でもなくて。時に流れに身を任せることも悪くないと知った気がする。流れに身を任せたら、自然と周りに人が居たし誰かの周りに居たりできてしまった。こういうことが、バンド界隈以外で発生するなんて思えなかった。むしろ時に営業や労働の様な錯覚さえ覚えるバンドマン特有の「ギョーカイ的コミュニケーション」より遥かに健全な関わりを保てたと感じる。それなりに理解し難い奴やどうしようもない奴も居たが、一部、こんな屑に何だか優しさを注いでくれた人たちが居た事実。

月曜日で、そんな日々もおしまいで。これが、不思議と寂しいものでして。

2013年1月26日土曜日

くすぶる

何かこう形に出来ないでいる、色々と。

そんなところからブログすらも疎かになっていくのだろう。こんな時ばかり量産されるツイートの数々も、読み返すと痛々しいだけ。何がしたい。

単に今は受け身の時期なのだと開き直り、書き掛けの駄文やらツイートやら、片っ端から消してやった。

包み込んで

2013年1月22日火曜日

2013年1月20日日曜日

テレビドラマの話

何気にJUSTICEのブログでこのブログが褒められていたので俄然やる気に満ちて来たぜ。アクセス数も何故か意外とあり、謎に良い感じ。しかし今回は期待に添わず、眈々とテレビドラマの話をしたいと思う。



TOKIO長瀬主演のドラマ『泣くな、はらちゃん』が始まる。

この土曜21時の日テレ枠は小学生頃から好きになるドラマが多かったりする。世の中にとってのドラマは月9でも、僕は断然、土9(毒...)。前クール『悪夢ちゃん』に至っては、北川景子がコメディ〜シリアスを一つのドラマで縦横無尽に演じ切り(今までそんなに気にしてなかったのに好きになってしまった)、キャストもジャニタレを使わずGacktや小日向文世の様なコアな人選で脇を固めつつ、これから輝くであろう子役達を演技の良し悪し構わずふんだんに起用し、ももクロが主題歌唄うなど、これぞ最先端を行くドラマだなと思ったくらいだ。何よりもCG応酬で攻めまくる子ども向けドラマを匂わせながら「どんな時代や境遇でも自ら未来を切り拓く」ことの重要性を謳っており、一人の大人として本当に胸が熱くなってしまった。こればかりは自分の中における「名作」として落ち着いた。

で、はらちゃん。前クールがその『悪夢ちゃん』だけに、画的にちょっと地味な印象もありつつ、長瀬と麻生久美子ならとりあえず安定して楽しめそうだなという、ただ漠然とした期待のなか、その期待は初回にして軽く越えられてしまった。思う様にいかない現実に疲れ、自己発散のためだけに漫画を描く麻生=越前さんの葛藤は感慨深いものがあった。はらちゃんらの存在する漫画の世界に対し、現実世界は昭和な雰囲気の港町という描写も何処か哀愁を帯びてて良い感じ。詳しくは観てちょ。僕もこれから毎週楽しみぃ〜て感じだけど、単なる「一風変わった恋愛コメディ」で収束しないことを願うのみ。何よりも長瀬、やっぱり良いなぁ、大好きです。人情、喜劇やらせたらピカイチだわ。だから心配はないかな?

今期ドラマについては今のところ、これしか観ていないのです。基本的にキャストで選んでしまうため(クドカン絡むと未だに無条件に観てしまいますが)、今期に関してはピンと来る出演者のものが無い印象。何か他にも面白いドラマあるのだろうか。あっ何故か『最高の離婚』の一話観たんだった...続きを気にしつつも、二話は完全スルーしていたので、そこまでってことかしら。

誰か『信長のシェフ』にチャレンジしないかな?

2013年1月19日土曜日

笑えた夜

1/17(木)

GOATがDJするというので、夜に渋谷のスンダランドカフェに遊びに行った。

少し遅れて行ったので、やぎィのDJは少ししか聴けず。。でもトロピカルでムーディーな選曲にうっとり。遂にはHIPHOPなんかも掛けちゃうんだわ、やるなぁ。いつかMIXでも作ってもらおうマジで。

また、今回のイベントでは素敵なドラァグクイーンがお二方いらして二丁目×渋谷のクロスオーバー風。初めてドラァグの方とお話したが、気持ちの良いおネェ様(年下だったらしいが)たちだった。潔くて。良い意味で馬鹿で。

お店の方、常連さんもみんな温かく、心地よく酔うたOF TODAYできました。やぎちゃんが色々と気を使ってくれてそれが何か面白かった(僕、意外と余裕なんですよああいうの 笑)。

付き合いが長い友人たちにも、それぞれの知らない部分なんて山ほどあって。僕にだって明かして無い部分も沢山ある。ただ、不思議と縁が切れない人たちとは、恐らくお互いの距離感や役割というものを暗黙のうえで理解しているのだろう。それとなく時間が過ぎる中で、お互いの新たな一面を知る瞬間もある。「今宵は飲もう、大いに語ろう」などという野暮な言葉なんて不要。無理に示し合わせた関係や場所ほどつまらないものは無いのだと近頃は痛感する。

と、沢山笑えて、有意義な夜でした。

2013年1月17日木曜日

ずっと思ってること

いつまでもつまらない伝統に守られながら、幼稚で下品な醜態を晒すのが“PUNK”なら、僕は喜んでそれらに背を向け、僕自身のPUNKやHARDCORE PUNKとやらを愛でていたい。

愛でるものでないとその美しさすら共有できない。

偉ぶったり悪ぶったり、アルコールに飲まれるまま堂々と人を不快にさせて、更にはその様式に依存して幾つになっても餓鬼みたいな駄々こねて、自分だけ気持ち良くなってる奴がPUNKとか語り出すと、本当に頭が痛くなります。吐き気します。いつまでも「そういうPUNK」でやってて下さい。いつまでも尾崎豊の歌詞みたいなものをPUNKだと思ってりゃいいよ。

本当にそういう奴もそういうの支持する連中も大っ嫌い。



結構大マジに文章書いてたらまとまらなくなって、ぶっ壊して集約したらこうなってしまいました。我ながら素直でよろしい。

2013年1月16日水曜日

DEATHBED

1/13(日)

吉祥寺はYOUNG LIZARD企画“DEATHBED”へ。名古屋からアズマも来ていた。Reiさん(SUN BEAM SUN)とも久々に会った。

ライブは全バンド素晴らしかった。中でも不幸はツボを抑えた曲展開とパワフルな演奏、醸し出す雰囲気が凄まじかった。D-BEATの曲が極悪でたまらなかった。メンバーの方々のの遍歴を知っていると余計に燃える。YOUNG LIZARDは緊張感の先に垣間見る暴虐っぷりが半端ない。広い、というよりは深過ぎる引き出しが故、まだまだ果てしない可能性を感じる。カツヤ君、お疲れ様!音源リリースにもひっそりと期待。


僕より世代が下のバンドも色々と出始めて、気になるバンドも増えてきた。今年は、世代は兎も角「新しいバンド」を一つでも多く観れたらいいなと改めて感じる。そして僕も初心に返り、今年は新しいバンドも始動させたい。実は一つ、口約束をしているがそれはそろそろ具体化させるつもり。ハードコアパンクではないけれど。

打ち上げではCN馬場くんとメディア談義。ドラマの話、昔読んでた漫画の話など。「サンデー読んでた奴はマイノリティ」という話に笑った。段々と内容が深まるに連れ、極端なこと言ってる連中はいくら揚げ足取りあってもみんな同じ穴の狢なんだよねという話に。あと歳喰うと保守化する人が多く、またその歴史は繰り返されているという興味深い話も聞けた。考えるのが面倒になるのかな?脳機能の低下が原因だったりして。冷静に考えると怖いな。守るべきものを見誤りたく無いもので。

COSMIC NEUROSEも2013年を迎え、遂に“MISSING PEACE”ツアーも佳境。近くに訪れた際はどうか見逃さないで下さし。

俺この曲大好き。

2013年1月15日火曜日

歩み続けるための歩み方

昨年の10月あたりから、僕は自分の生活を改めて見直す必要があった。加えて毎週金曜日、片道約40分、地下鉄で往復540円掛けて「通う」ことへの違和感も生じ始めた為、長らく官邸前抗議に足を運んでいない。毎週の様に抗議に足を運んでいたあの頃は、言葉では否定していたが、「怒り」に変わる確かな「情熱」をもっていたのだと思う。自分が足を運んでどうにかなろうものなら何が何でも足を運ぶ、そんな気概だった。

予断を許さない状況は原発がある限り変わらないし、それに伴う「原発即廃炉」の個人的な姿勢も揺らいでいない。ただ、この自民党政権下では、民主党政権が右往左往していた昨年とは状況が異なる。昨年の春から夏に掛けては、抗議自体に世の中へのアピール力と政治への抑止力が確かに備わっていた、様に思う。毎週の様に抗議に足を運ぶに連れ、規模が膨れ上がり、過度期にはメディアがこぞってその様子を伝え始め、政治家も無視出来なくなり、実際に様々な政治決定も揺らいだ。だから何が何でも抗議に行く、その意義を見出すことも出来た。そんな人が多かったのだろう。その影響として、現時点では規制委員は独立したものとして、とりあえずは正しく機能しているのではないだろうか。ただ現状は、もう無闇に抗議に足を運んでどうにか出来る状況では無いのだと個人的に判断している。

あの抗議に足を運ぶ過程では、情熱に駆られる中で勘違いを起こした瞬間もあったと認めたい。特に多くの人が集まって欲しいと願う余り、デモや抗議に足を運ばない人々の神経を理由も知らずに疑ったり、個人的にはPUNKSと呼ばれる人たちがあまり見当たらない状況を嘆いたりと、独善的としか言い様が無い感情にすり替わっていた瞬間もある。情熱の裏で、誰かを突き放していたかもしれない。これこそが大衆運動の落とし穴なのだと今では猛省している。

今も続く『官邸前抗議』に対して、自分の中での位置付けは変わった。個人の意識の集合体を築くべき受け皿が、過度期を終えても尚継続して機能していることを忘れずに、その事実に意義を見出していきたい。だから本当に「生活の延長」としてタイミングが重なったその時には、僕もまたあの抗議へと向かうつもりだ。金曜日の夜に、都内に別の目的がある「ついで」に寄るとか。

一方で再び国会包囲網や不定期の市民的なデモがあれば、強制の無い形で告知を拡散したり、千葉から「通って」までも、一つの頭数となるつもりだ。そこには多少の「情熱」を掛けたいと思う。それは、独りよがりの情熱なんかではなく、一人でも多くの人間が生きやすい世の中を築くための情熱。

それらのデモや抗議がいつかの様に、一部のカルトやアウトローによる浮世離れした自己表現の場に映ったその時は、僕はそこに脚を運ぶことはないだろう。反原発を掲げる人間のなかに、非人道的な差別意識をもった人間や、根拠のない陰謀論を盲信したり、何かフェスティバルの様に捉えてる人々も居る、しかもそういった人は少なくないのも事実。人が集まればそれだけの問題が生じる。やはり運動の内側よりも、外側に配慮されたものは理想的だ。僕自身もそうなのだが、過度なヒステリックにアレルギーがある者の多いこの国で、所謂「普通の人たち」(極端に言えば、デモとは無縁、デモを軽蔑していた人たち)に配慮された運動が出てきた。僕はそういう動きこそ支持したいし、大きくする一端を担いたい。

周りが見えなってしまうくらいの情熱は注ぎたくないし、デモや抗議行動、それ自体は目的ではなく、世の中を動かすための数ある手段のなかの一つでしかないことを、ここで改めて忘れない様にしたい。自民党が政権を取ったことで、今後、僕らの生活そのものが徐々に崖っぷちに追いやられるかもしれない。だからこそ自らの今の生活そのものを守りながら、これからは原発に限らず、現政権がこの暮らしや人権を侵そうものならその総てに抵抗する。日常で当たり前の様に政治を話し、常に政権の動きを見張り、署名や選挙も当然参加し、その上で無理のない形でデモや抗議に足を運びながら、当たり前の権利を行使していこう。僕の頭ではまだ知識も浅い。でも絶対的に「悪い」ことは何なのか、それくらいは分かる。果てしない道のりだが、その時の状況に応じた手段を選びながら、消え掛けている民主主義を絶やさない様にしようと僕は思う。

2013年1月12日土曜日

NIGHT DRIVE


言語化できない焦燥に駆られ、まるで思春期の夜の様だ。どうにかしたくてもどうにもならないあの感覚。どうしてくれようか。

成長できない自分自身へ。

大人になってしまった貴方へ。

2013年1月5日土曜日

NEW YEAR PUNKS 2013

1/3(木)

夕方からTOO CIRCLE Recs&EYESOREによる新年会GIGに遊びに行く。

うっかりスタート時間を誤っており、着いた頃には最高に楽しみにしていたAVFALLをまんまと見逃す。ただ無念...そして反省。

新年一発目のLOW VISIONはぶちかましアクト。特に17MFH8が序盤からシャンパンを空け、ガンガン前に出る猛烈っぷり。正月気分かっ。BaがGOATだったこともあり、安心して吹っ切れることが出来たのかもしれない(念のため、前任が悪いという訳では無いことは注釈を加えておく!)。とにかく全メンバーが「俺が!俺が!」状態で最高でした。

昨年、遂にブレイクエッジした17MFH8の覚醒っぷりも含め、今年のLVは過去最高に危険なのではないかと早くも予見する。

EYESORE、ENCROACHEDも相変わらずのセンスの塊で最高だった。ENCROACHEDは常に最新、最先端のHARDCORE PUNKを提示していると思う。鬼気迫るパフォーマンスに正月気分も吹き飛んだ。今年は音源を録りたいと抱負を語った前田社長、期待しています。

新年早々、HARDCORE PUNKへの愛溢れる素晴らしい企画だった。

ちなみに帰りの電車で何気なくiPhoneのたまごっち系のアプリを開いたら(餌くれと呼んだので)、GOATとJUSTICEに馬鹿にされましたわ...


2013年1月3日木曜日

2013年、元日

久々に早起きが出来た元日の朝。前日の年越し蕎麦の残りのつゆを用いて雑煮をこしらえ、なかなか気分の良い一日の始まりを迎えた。

ちょうど昼に支度を終え、実家へ向かう。

成田で途中下車し、成田山の表参道をゆるく巡る。しかし夫婦揃って人混みと行列を嫌うため、新勝寺敷地内に着くには至らず。流石は腐っても成田山。空港と寺の街。しかし成田代表ゆるキャラ、うなりくんが気になる(モヤさまでも取り上げられてたね)。

そして実家へ。軽く飯を済ませ、先月までやっていた長澤まさみ主演の某ドラマの主なロケ地となった高校(母校)を見に行ってみた。高校時代なんて良い思い出は一つとて無いが、ドラマに使われてた場所を次々と見ては嫁とミーハー心を震わせた。そして母と共に地元の由緒正しき寺へ。

人影一つも無い樹齢400年超の杉林。今日がどんな日であろうと、その姿は陽の光を遮り、土が乾くことも許さず、冬の寒さをより確かなものとしていた。見上げれば厳かに立ち尽くす大木の群れ。所々に静かに立つ古い建造物。それらが僕には何だかたまらなく恐怖だった。脇にある神社のお稲荷すら、早く帰れと言っている様にすら感じた。


また、約3年前に廃校になった小学校にも寄った。身体の成長からか敷地、建造物、遊具のそれらがちっぽけなものに感じられた。校庭は手が加わっている様だったが、校舎は所々荒れ、朽ちていた。子どもの声が途絶えたこの敷地も、近い将来、特別支援学校となる計画がある。早くその日が訪れることを願う。

そしてまた実家へと戻った。

年長者が亡くなっていくに連れ、形式的な正月も消えてしまった。特にそれといって正月らしいこともせず、仏壇の祖父母の写真の前で静かに手を合わせ、猫と戯れ、横になってテレビを眺め、夜には住処へ戻った。いや、これこそが正月なのだろう。

ただ僕は、血縁の元気な姿を確認できればそれで良かった。なかなか会えない上の弟には逢えずに終わったが、彼らしく生きているということだった。



帰る場所は、あるのだろう。でも今はとてもその気になれない。つい数年前はその土地に帰ることも夢見たが、その気持ちもすっかり消えてしまった。

街にも人にも、じぶんが求めるものが皆無。それだけのこと。地元を面白い様に変えるという選択肢もあるのだろうが、絶対数すら減る一方で、衰退していく街そのものがもう答えなのではないか。そこに住む多くの人間は変化を求めていないという証拠だろう。ただ現状に飼い慣らされ、朽ちていくのを待つのみ。変化を求めるなら出ていった方が早い。そうやって多くの人間が田舎を捨てるに違いない。たとえ変化を求める当事者が立ち上がったとしても、きっと変わり者と呼ばわりされ相手にされないのだろう。

そう、あそこはまるでこの国の縮図の様。

元凶を辿れば国についての批判が始まるに違いないので、今回はここで終わる。



NEW

2013年を機に、移転というか、心機一転してみます。

過去ブログは、過去ログとツイッター保管庫として残します。

今年は一日でも多くブログを綴れることを楽しみにしています。

それでは今年も宜しくお願い致します。

ヘイト