2013年2月14日木曜日

2013年2月13日水曜日

ほどほどにね。

うおー馬場くん(COSMIC NEUROSE/SCREWITHIN)もブログに件の反韓デモについて書いてたのね!実に慎重に検証していて、気付かされることも多いと思う。是非、読んでみてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/babattiee/archive/2013/02/11

この記事に限らず彼のブログは必読です!読めばモテる!



現在あまり活発に外出できない事情なので、どうしても考える時間に満ち溢れている。考え過ぎもそれはあまり健康的とはいえないね。毎日、軽く散歩でもして猫写真とかUPしていこうかしらー。でも寒いのは嫌。そう、冬のせいもあるのかもしれない。

だから僕はネットで猫と出会うのだ。

ほんとにもう、、ぐうかわ。

2013年2月12日火曜日

HATE THiNK HATE

前回の記事、UPしてからというもの思うことがありまくりで。それだけ僕には新大久保のデモというのは凄くショッキングなもので、「差別」ということに関してずっと考えるというスパイラルにハマってしまった。

僕は正直、思考停止の上に他者を傷つけることに特化してしまった様な人々はもう既に「手遅れ」な存在で、檻なんかより病棟に送り込む方が適切なんじゃないかと思っていた。そのほとんどがヒキコモリのアニオタの様なパブリックイメージも当然持っていて。しかし、全てを一括りにしてそれに当てはめてしまうことは、それも自らの思考停止だよなと、少し反省しています。

「嫌う」ことは人としてごく当たり前の感情。無理にその感情を押し殺してしまう人も居るけれど。ただ誰しもが自らのそれらの感情と、もう少し向き合う必要がある。「何気なく“嫌い”」ということが、実は刷り込みである可能性だってある訳で。それを、知らず知らずの内に他者とまた何気なく共有しているかもしれないし、本当はおかしいと気付いている様な人もそれを外に言い出せぬまま、差別することを享受しているかもしれない。

この点を改めて考察した上で、僕は「差別」をもう一度はっきり否定したい。

個人的な「嫌い」には何も文句なんて無い。ただそれを自己都合のもとに解釈して根拠の無いデマに他人を押し込めたり、またその負の感情を誰かと共有してまで無抵抗な人々を罵るのは異常だ。



ネットなんかでは話の通じない馬鹿とのトラブルが面倒なので自重していますが、僕自身は悪口大好きなんですよねこれが。ヘイトだけに。受け手としても、毒気の無いものには一切の魅力を感じないですし。

だからヘイトのHATEは別に誰にも強要しませんし、むしろヘイトがHATEする奴らはある意味自分にとってスパンコールの様なものなのです。

なので「何となく」でHATE振りまいて悪態ついてる様な屑は笑えないので黙れ、消えろ、と言っておきます。



久々に黒いトコ出しちゃった★

2013年2月10日日曜日

病める人々


極端な話をしてしまえば、常軌を逸した放射能忌避も、在特も、極左も、体罰肯定派も、この目にはすっかり同じものに見えてくる今日この頃。

彼らは大義名分として「日本」「子ども」「自由」などを護るための行動=表現を実践している様だ。でも本当に守りたいのはきっと「自分」。何か行動している実感で「自分」が救われたいが為に、それらをダシにしている様にしか思えない。

僕でさえ救われたい。だから言葉を綴ったり、運がよければ音を鳴らすこともある。僕はあまり会話が得意ではないので、余計にそれらによって救われる。彼らにとってのデマや暴力が果たして僕のそれと違うのかと言ったら、きっと同じ。ただ、一つ違うと言えば、僕は「自分の為」にしか表現や行動をしていないと言える。仮想敵も「自分」。くすぶってる自分をぶっ殺したいだけ。

とは言っても、自分を強く持つって、言うほど簡単ではないね(僕も結構、人に依存したりするので、内心冷や冷やしてますよ。いつか誰か離れていくんじゃないかって)。

最早カルト化した集団には然るべき「救いの手」が必要だ。それはもう、セラピーであって、説教して変われるレベルの人はそう居ないだろう。きっと僕の手には負えない。



ただ現実問題として、カルトに支配された人々のデマや暴力によって実害が生じることが多々ある。

そういう観点からすると、例えば先の新大久保の反韓流デモに対する「レイシストしばき隊」の様なアクションも止むを得ないと感じた。

正直、初めはそのネーミングに耳を疑ったが、その大きな意図は、レイシスト連中と同じ土俵で相撲する様な無意味なアクションではなく、機能しない警察警備へのカウンターとの事で腑に落ちた。そして第一回のそれが無事に役目を果たしたとのこと。

自由に甘んじて何でも許される訳じゃないととっとと学んで、一人でもネトウヨみたいな連中が自らの恥に気付くことを願う。領土だ何だ言ってないで、もっと自分の人生を生きて下され。



自己保身が為に人に吠えて傷つけるなんてみっともないし、それじゃ一生モテないしいつまでも変われないよって、何か有名な萌えキャラにでも言って欲しいもんだな。

2013年2月8日金曜日

PIRATES MiX

HARDCORE PUNKのLIVE音源って熱量が伝わりにくいものばかりだと思う。これは一つの作品として完成していて凄い。MC5『KICK OUT THE JAMS』ばりの熱量。

聖地VORTEXでのLIVEというところもポイント高し!(超行ってみたい)

http://soundcloud.com/deathro-keno/cosmic-neursoe-tour-the/s-Agvfw

DL期間3.11までだそうです。

2013年2月6日水曜日

近頃の夜は

僕、完全に夜型でして。でも何か近頃は、起きていれば起きているほど気が滅入ってくるので、早寝の習慣をつけたいな。冬のせいもあるのかもしれないけれど。

しかも、また少々の長い休みに入ってしまった訳だ。春からの社会復帰が無事に出来るといいけど。



ところが、この2月をもって今の住処を離れることにしたので、そうぐだぐだもしてられないぞと。でも引っ越す先は近所の予定です。

僕は産まれて30年間ずっと千葉から離れたことは無いのですが、ずっと東京に憧れていたい気もするので、現時点ではこの先も千葉を出ることは無いと思います。余程のやんごとない事情がない限りは。



我等がJUSTICE、誕生日おめでとうございます。31歳、ボイパ解禁?

2013年2月2日土曜日

センチメント

約二年間、僕は日々ある所に通ってきて。紆余曲折を経て「最後の手段」的に選んだ道だったのだけど、これまた紆余曲折を経て、今思うと掛け替えのない二年間だったと思う(日々の学びは発見と退屈の繰り返しでそれに対しては特筆すべきこともない)。

二年前の僕は、無闇に人と溶け合うことにまるっきり自信を無くしていた。いや今でもそれは大して変わらないけれど、震災を経て何かが吹っ切れたのは確かだった。色々と難しく考え過ぎて、卑屈に捻くれまくっていた自分があれを機に急激に馬鹿らしくなったというか。すかしてる場合でもなくて。時に流れに身を任せることも悪くないと知った気がする。流れに身を任せたら、自然と周りに人が居たし誰かの周りに居たりできてしまった。こういうことが、バンド界隈以外で発生するなんて思えなかった。むしろ時に営業や労働の様な錯覚さえ覚えるバンドマン特有の「ギョーカイ的コミュニケーション」より遥かに健全な関わりを保てたと感じる。それなりに理解し難い奴やどうしようもない奴も居たが、一部、こんな屑に何だか優しさを注いでくれた人たちが居た事実。

月曜日で、そんな日々もおしまいで。これが、不思議と寂しいものでして。